最近ちょっと(かなり)食べすぎていて、内臓がおかしくなっているのを実感します。
こんにちは。
シェービングサロン -Yesim- イエシム 事業主です。
ここしばらくブログの更新を怠っていたおかげで、ブログの書き方をすっかり忘れてしまいました。
ま、ブログなんて正しい書き方なんて無いんだから、書きたいように書けばいいんですけどね。
で、今回の話題は…
実はワタクシ、両親も理容師です。
まぁ早い話が…床屋の倅(せがれ)。
いわゆる『2代目』ってやつですよ。
そんなわけで私の母も理容師ということで、時々お互いの修行時代の思い出話になる時があります。
時代は変われども、修行時代の苦労というものはそんなに大差ないようで。
理容学校を卒業して勤め始めたばかりの頃は、そりゃぁ大変な苦労でしたよ。
はっきり言って、もう二度とあの頃のような生活には戻りたくないですね。
いまだに夢に出てきてうなされる事があるくらいですから。
それはどうやら母も同じようで。
ただ、母の修行時代と決定的に違うのは、その時代背景とでも言いますか…
ワタクシの頃の方がはるかに文明が発達していたわけでして。
母曰く、
「お前の頃は洗濯は洗濯機だろ?
私の頃は洗濯板で手洗いだったんだぞ」
などと言われると、それはもう頭が下がる思いです。
そんな母と、一つだけ共通の思いがあります。
それは…
当時経験した苦労はその後の人生で一つも役に立つことはなかった
よく、
『若い時の苦労は買ってでもしろ』
なんて言いますが、あれはウソ。
修行時代の辛い経験がその後の人生に生かされることなど、はっきり言ってまるでありません。
修行時代、何が辛いかと言うと…
『親方や先輩たち理不尽な振る舞い』や『本業とはまるで関係ない仕事や規則』です。
正直、仕事や技術を教わる上での厳しい指導は、決して辛いものではないんですよ。
そうではなくて、実際に辛いと感じるのは先に挙げたような事。
ま、辛いというよりは腹が立つと言った方が正しいか…。
そういった経験って、単にその時に辛いだけでその後の人生に生かされるものではないですよ。
で、それを
『これも修行だ、勉強だ』
みたいなことを言われて、その時はそういうものだと思わされて過ごしていたけど、今になって思い返せば決して修行でも勉強でもなく…。
あ〜、なんだかブログ書いてるうちに思い出して腹が立ってきた
まぁとにかく、若いうちだろうが歳をとってからだろうが、苦労なんていうものはしない方がいいに決まってるんですよ。
『苦労をする』と『いろいろな経験を積む』というのはまるで別物ですから。
苦労が自分の肥やしになるとは限りません。